クライストチャーチの植物園
南極大陸をついに出るエントリーです。
マクマード基地では相変わらず天候不順やら機体の故障やらで、クライストチャーチ行きの便がひたすら遅れ、なんやかんや1週間くらい滞在しました。 帰還組の僕たちはマクマードではとくに仕事もなにもないので、昼間はずっとインターネット*1、夕方からはみんなでラウンジでひたすら飲んでいました。ラウンジにはテレビが置いてあって、アメリカ軍用の娯楽テレビプログラムみたいなのが視聴可能で、毎日違う映画が見れます。ただし一日の間は同じのが永遠ループです。暇を持て余す僕たち帰還組の中には「きょうおれ、これでもうジョン・ウィック3周目だよ...」みたいなひともいました。
マクマード基地の周りは、周囲1,000km以上全く何にもない南極点のアムンゼン・スコット基地と違って、とても変化にあふれています。いわゆる南極っぽい動物の観察もできます。
なんやかんやしているうち、いよいよ出発の日になりました。 南極大陸を出るのはかれこれ400日ぶりくらいです。
輸送機がクライストチャーチの空港に着陸して、ホテルに着いたのはもう午前3時くらいでした。 ただもう、我慢できずホテルの近くにあるマクドナルドに出かけることにしました。 ここしばらく*2、あぁジャンクフード食いてぇと思っていたからです。
この場所、ホテルというかたくさんのコテージ?からなる宿泊施設なのですが、外に出る門に向かう途中、いろんな部屋から知った顔がぞろぞろと出てきました。 聞いてみると、みんな行き先はマクドナルド。全員考えることは一緒だったようですね。
途中、僕らよりはやくマックに向かっていたと思われるシェフのジークが手ぶらで向こうから帰ってきます。 いわく、あのマックはドライブスルー専用だからダメだった、とのこと。 そんな不条理なことがあってたまるかと、一同憤怒です。 ”ドライブスルーレーンに徒歩で入っていく”とか”Uber使ってドライブスルーだけする”などなど、なんとかならんか作戦会議もしましたが、もう疲れてることもあってみんな諦めることにしました。
部屋に戻ると、ホテルのフロントでもらったリンゴを一つかじってもう寝ます。 きれいにベッドメイキングされた、ふっかふかのベッドに寝るのなんて久しぶりです。
次の日の朝起きて洗面台に向かうと、昨日の夜置きっぱなしにしていた食べ終わったリンゴの芯から、ながーい蟻の行列が壁のタイルの割れ目まで延びています。 そっかもう南極じゃないもんなと、はっとしました。
そこから数日クライストチャーチに滞在しました。 基本的にはウィンターオーバーのみんなと食って飲んでの繰り返しでした。 毎日、夕方までクライストチャーチ市内中心に大きく設けられた植物園のなかでゆっくり二日酔いの身体を休め、また夜は飲みに出かけるといった日々です。
酔っ払ったときの話なんかしてもしょうがないですが、ひとつだけ。 どっかのパブで酔っ払ったニュージーランド人の娘母の二人に、「あんたテンジン・ノルゲイに似てるわね!」と絡まれました。 テンジン・ノルゲイはもちろんニュージーランドの超英雄エドモンド・ヒラリーとともにエベレスト初登頂を果たした、ネパールの偉人です。 まあ十中八九、アジア人だからってだけで言われてるんですが、悪い気はしません。そうか、南極点での一年を終えたおれの顔はテンジン・ノルゲイに似てきたのかと。他のことに話題がうつり、周りが盛り上がるなか、僕はひとりニヤニヤしていました。
これでブログは終わりです。 どうもありがとう。
どこか街でテンジン・ノルゲイに似た人を見つけたら、おそらくそれは僕です。ぜひ声をかけてもらえたらと思います。
平たくない景色
いよいよ南極点を出発したあとの話です。
talking-penguin.hatenablog.com
まずは南極大陸沿岸のマクマード基地に向かいます。
その後マクマード基地からは文明の地、ニュージーランドのクライストチャーチに戻ります。クライストチャーチにはアメリカ南極プログラムの拠点があるからです。
機内では窓の外をずっと眺めていました。
外を見ながら何考えていたかは忘れました。
そういえばこの機体は、一年前に南極点に連れて行ってくれたものと同じです。行きの飛行機のなか、この一年が良いものになることは当時から確信していましたが*1、そのときの僕が想像できていたものなんかたかが知れています。素粒子宇宙物理の研究者*2として可能な限り正確な言葉で南極点越冬の体験がどんなものか一言でいうと、「🤯」です。
数時間経った後、隣に座っていたダニーが見てみろと遠くを指差します。
地平線に山の連なりが見えています。
大陸中央部のだだっ広い氷床部が終わり、Transantarctic Mountains (南極横断山脈)に到達です。
考えればもちろん知っているし予測できる展開ですが、なにしろ頭のなか空っぽでボケーっと外を見ていただけなので、とにかく久しぶりに見る平たくない地形を見て「おぉ山だ...」と驚きます。
山脈が次々にあらわれて地平線が見えなくなり始めた、なんとなくこのとき、ああなんか終わっちゃたなとふと考えてしまいました。
バスラーは山脈部に進んでいきます。
この機体、バスラーのパイロット達は、僕らが南極点でもうずっと天気のせいで待ちぼうけ食らっていたことを知っています。 気前の良い彼らは、サービスで山脈を横断中に超低空飛行をしてくれました。
さらに数時間後、ついに遠くにエレバス山が見えてきました。マクマード基地はもうすぐです。
上写真右に見える、氷河上の人工物はフェニックス・フィールドと呼ばれる滑走路。その右上に見える黒色の島みたいなのは、ロス島と呼ばれるエレバス山を含む島の一部で、アメリカのマクマード基地とニュージーランドのスコット基地が存在しています。
南極点にいると夏だろうがなんだろうが寒かったんですが、ここマクマード基地まで北上すると緯度が77度と相当上がるのではっきりと暖かくなります。
気温は氷点”上”です。ものすごく久しぶりに水が液体でいられる場所にやってきました。
さようなら南極点
南極点に僕がやってきたのは、2019年11月8日。
2020年11月25日、丸一年間と1ヶ月弱を過ごしたこの場所を離れる日がやってきました。
極夜の越冬を含めた一年間の暮らしは、終わってみればなんにも辛くありませんでした。 特に個人的には、夜の冬の生活のほうが昼の夏の生活よりずっと楽しめました。 なんにせ、これまでで一番ストレスフリーな一年間だったと思います。 仕事に関しても検出器が安定して動いてくれたおかげで、稼働率99.88%というとても高い数字を残せました。
ところで思うに、南極点での越冬より原子力潜水艦の乗組員、火星行きの宇宙飛行士とか、あと刑務所の中とかはもっと大変そうですね。 外に出られないってのは相当キツいんじゃないでしょうか。 というわけで南極点でこの一年訓練したので、宇宙飛行士になる、もしくは檻の中に入る機会が訪れても準備はバッチリです。
いよいよ出発の日、初めてここに立った日と同じように、今日の南極点の空は晴れ渡っています*1。
最近の気温はだいたいマイナス25度からマイナス30度くらいです。 ここでは相対的にとても暖かい気温なこと、冬の間にイカれた気温に慣れてしまったこともあり、こんな日は外の冷気を気持ちよく感じることができます。ほんとうですよ。
出発の日ですが、そんなに感傷的になることもありません。ここしばらく、「出発の日」をもう何回も何回も経験してきたからです*2。
この2週間弱くらいの毎日はこんな感じでした:
- 出発日、二日酔いで辛いなか朝早く起きて準備する。
- 天気が悪くてフライトがキャンセルされた旨の連絡が入る。
- フライトが翌日に再スケジュールされる。
- 夜、「あしたが出発だから、今日が最後の夜だね。」とみんなで飲みまくる。
- 「寂しくなるなあ、絶対おれの住んでるとこに遊びに来いよ!」みたいな話を深夜までひたすらする。
- いいかげんに酔ったみんなで外の天気をみて、明日は飛ぶか飛ばないかみたいな不毛な議論をする。
- 1.に戻る。
をもうずっと続けていたので、正直もう南極点いいからさっさと出発させてくれ、という状況になっていました。
ここが嫌になったわけではなくて*3、毎日フライトが直前でキャンセルされる状況がものすごく鬱陶しいからです。それに肝臓も悲鳴をあげています。
南極点で越冬した日本人では僕の前に1960年と1977年に計2名いらっしゃるだけです。これで僕は(日本人)3人目の南極点野郎になることができました。 自慢です。すごいだろ。
(278)日のウィンター
長ーい冬がおわる日がやってきました。
アムンゼン・スコット基地からウィンターオーバー以外の人間が出発して、基地が冬季閉鎖に入ったのは2月14日でした。
278日がたった11月18日、ついに南極大陸沿岸のマクマード基地からアムンゼン・スコット基地の今シーズンオープンを告げる初めての飛行機が飛んできます。
普通の年なら、3週間くらい前にオープンしているはずなのですが、なにしろ特別な年です。すったもんだのあげく、天気にも邪魔され、遅れに遅れてこの日を迎えました。
南極大陸での越冬任務ご苦労、みたいなセレモニーがあってメダルをもらえました。
このメダル、まさかの国防総省からもらえる超ガチなやつ(Service medal)で、アメリカ軍の偉い人が左胸のとこに付けるのと同じ扱いなやつです。 ステーションマネージャーのウェインさんはもともとアメリカ海軍出身なこともあり、このメダルがいかに”big deal”かを熱心に説明してくれました。 いつかグリーンカード申請する日には、このメダル胸元にぶら下げて行こうと思います。
あと最初の便では、恒例行事として新鮮な果物の差し入れがあります。久しぶりにアボカド食べました。
あと少し?
アムンゼン・スコット基地が2月15日に冬季閉鎖になってから、270日が経ちました。人類のみなさまいかがお過ごしですか。
本当はもう基地のオープンしてるはずなんですが、今シーズンは例のアレに加えて、そもそも南極大陸では予定通りに何も進みません。
今日も、もしかしたら飛行機が飛んでくるかも、という話でしたが朝早々にポシャりました。
南極点に長くいるのは問題ないのですが、もうこっちは完全帰るモードになっているだけに、なかなかじれったい日々です。
暇なので毎日、夜な夜なザックと映画みて過ごしています。ダイ・ハードはあと5を残すのみです。
おわりです、イッピーカイエー。
南極点の一年間の気温まとめ
あさってで南極点に来てからちょうど一年になります。
気象部門のジェフに頼んで、この一年の気温のデータをもらいました。
下の図はデータをグラフ化したものです。久しぶりにPythonで図を作る”リハビリ”も兼ねています。
最高気温は2019年12月12日のマイナス20.4℃、最低気温は2020年9月11日のマイナス75.6℃でした。
もうすっかり感覚が麻痺しているのでアレですが、よく考えるとマイナス75.6℃って意味不明ですね。当日は寒かったですよ。
そういえば基地の中で摂氏を使うのは気象部門のジェフと、オーストラリア人の(別の)ジェフと、僕だけです。 アメリカの基地なのでみんな華氏を使います。 摂氏マイナス73度くらいが、ちょうど華氏でマイナス100度に相当します。
華氏マイナス100度を下回る日には”300 club”なるものが開催されます。 「ガンガンに熱した基地のサウナ(華氏200度)で身体を温めたあと、ほぼ裸/素っ裸で上の写真の南極点(華氏マイナス100度)まで行って帰ってくる」チャレンジです。 要は差が華氏で300度だということです。 このチャレンジに成功したもののみが300 clubへの入会を認められます。
実は上の写真は、チャレンジの様子の撮影を頼まれたときのものです。 この写真のすぐ後、基地から素っ裸のウィンターオーバーが群れをなしてこの南極点のポールにやってきます。 カメラ構えて待ってる側から見ると、異様な光景でした。
ぼくは別の寒い日(華氏マイナス100度を下回った日は今シーズン2回だけありました。)に成功済みです。 寒いから小走りでポールまで走ったのですが、それが大間違いでチャレンジの後、寒さで喉が焼け付いたというか荒れたというか、まともに喋れなくなってしまいました。
まとめると、南極点は寒いけど楽しいということです。
おしまい。