南極点でくらす1年間のきろく

アイスキューブニュートリノ望遠鏡のWinterover(越冬観測員)として、1年間南極点のアムンゼン・スコット基地に滞在しています。家族、友達のみんな、まだ生きてます。

シャワー

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本文とは全く関係ありません。

アムンゼン・スコット基地は南極大陸のど真ん中に位置しています。最寄りのアメリカの基地はマクマード基地で1400キロ先、お隣さんはロシアのボストーク基地でこれも1300キロ離れています。なお、東京-博多間は1100キロくらいらしいです。僕たちから半径1300キロの円の中には人間は誰もいません*1

何が言いたいかというと、誰にも頼れずインフラは何もないので、水も電気もすべて自分たちで用意しなくてはいけないということです。水は氷を溶かすことで、電気は極寒地でもちゃんと燃焼するようにブレンドされたジェット燃料を使って発電します。このため、燃料は基地の生活の土台となる欠かせないものです。当然越冬中は外部から補給できないので、節約して使わなくてはいけません。

これが何を意味するかというと、「シャワーは週に2回、それぞれ2分間」ルールの登場です。

みなさんもぜひ2分間シャワーを試してみてください。はじめに考えずにやると時間がきっと足りなくなると思います。

始めは少し戸惑いましたが、いまはもう慣れました。以下が2分間でシャワーを終えるための僕の戦略です。

始めの10秒はシャワーまだ温かくないので残念ながら役に立ちません。 正直、このまったく無意味な10秒を他のウィンターオーバーは10秒としてちゃんとカウントしてるのだろうか、といつも疑問に思います。

お湯が充分に暖かくなった次の15秒程を使って、髪の毛を濡らします。この段階でシャワーは一旦止めて、シャンプータイムです。 何日も洗ってない髪の毛ではなかなか泡が立ちません。いい加減髪の毛も延びてきて、今では前髪が口の中に入ってくることがあります。気持ち悪いです。

ここまでで25秒使っています。順調ですね。シャワーを再び全開にし、急いで髪の毛をすすぎます。ポイントはここでのすすぎは適当で良しとすることです。

40秒が経過しました。2回目のシャンプーと身体を洗うタイミングです。シャワーは再度止めます。さすがに2回目のシャンプーでは泡はしっかりと立ち、気持ちも良いです。 身体も洗ったあと全身は泡まみれになっている訳ですが、ここで重要なポイントはすすぎ始める前に手で泡を落とすことです。これで10秒は確実に稼げます。

もう最終コーナーは回っています。ここからは最後のストレート、2分経過までシャワー全開ですすぎきるだけです。実際には1分20秒経過時くらいで手順は完了するので、残りの時間はお湯を楽しむ時間です。

ところで何秒経過した、とか言うのは自分で数えています。当然ここにはバイアスがあるでしょう。無意識のうちにゆっくり数えている可能性があります。確実に2分以内でシャワーを終えるために、1分50秒が経過した時点でバルブを閉じます。これできょうのシャワーは完了です。

この手順はアムンゼン・スコット基地に赴任して以来、6か月間かけて確立してきた作戦です。時間の振り分けのデザインの背景には、「前半急いで後半楽しむ」という意図があります。

ちなみに、南極点は湿度ゼロ%なのでそんなに毎日シャワーを浴びないと不潔、ということはないです。みんな臭くないですよ。

ここからが本題です。

先週の全体ミーティングで水の流量管理の責任者から、「みんなに大事なお願いがある。」と話がありました。

悪い予感です。これまで基地では原因不明の水の使用量の超過、という問題がありました。従来のシーズンの同時期に比べて30%程度水の使用量が多いという問題です。 シャワーの時間が制限されるのでは...と思わず身構えます。

責任者のマットが続けます。「あるトイレが故障して水が流れっぱなしになっていたことがわかった。これを修理したところ、基地の水の使用量が例年程度に落ち着いた。問題は解決したが、シャワーが基地の水の使用量にどれくらい影響があるか調査したい。なので、来週はシャワーは一回あたり10分間ぜひ使って欲しい」と言い放ちました。

...10分間???

一瞬の静寂のあと、どっとみんなから歓声が上がります。10分間シャワーはここでは特別なものです。例えば、(極寒の南極点の外で本当に42km走る)マラソン大会の優勝者の景品が10分間シャワーでした。

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さる今週の火曜日の真夜中、満を持してシャワールームに向かいます。10分間をどう使うか、いったいどれだけすすぎに使えるかなど考えているうちに、頭の中はもうパニックです。作戦がまとまらないままシャワーを開始すると、案の定身体が2分間シャワーを覚えているせいか、どう頑張っても3分を経過するころにはすべてを終え、もう何をしていいかわからなくなってしまいました。

シャワー全開のまま、ベージュ色のシャワールームの壁をじっと眺めます。まだ4分です。

5分が過ぎた頃には、なんだかぼんやりしてきました。どうやら、のぼせてしまったようです。

なんと6分でまさかのギブアップです。

部屋に戻り髪を乾かしていると、なんかこう、どっと疲れを感じます。

あしたも10分間シャワーの予定です。楽しみというより、なんだか重荷に感じます。

*1:聞いた話ではたまに宇宙ステーションの宇宙飛行士が最寄りの人間になるらしいです。