南極点でくらす1年間のきろく

アイスキューブニュートリノ望遠鏡のWinterover(越冬観測員)として、1年間南極点のアムンゼン・スコット基地に滞在しています。家族、友達のみんな、まだ生きてます。

スコットが死んだ日

何日も続く縦走やトレッキングを、テント泊で経験したことのある方なら共感してもらえると思うのですが、一番最悪なのは衣類や寝袋が濡れることです。 あまりいい気持ちがしないのはもちろんですが、何より深刻なのは身体が冷えることです。 濡れる原因は雨とは限りません。 行動中や就寝中に身体から出る汗や息で、どうやったって濡れるものは濡れます。

アムンゼン・スコット基地に滞在していて、毎日のように外に出て作業しています。 どうしようもなく寒い環境の中でわりとなんとかなるのは、毎回しっかり乾いた防寒着を着ることができるからです。 同じ防寒着を着ていても、もし濡れていたら冗談でなく命の危険があると思います。

ということを知ってもらった上で、南極点到達2番手のスコット隊がどれだけ根性あったかという話です。 1911年11月に南極大陸沿岸Cape Evansを出発したスコット隊はほとんどはじめから災難が続きます。 期待してた雪上車がちっとも役に立たたずにぶっ壊れ、物資輸送の担い手の馬がどんどん死んでいっていまします。 なにより、”うわぁ最悪だ...”と僕が思ったのは、出発してからしばらく気温が高すぎたために衣類や寝具が何から何までずぶ濡れになったということです。 燃料カツカツ、最後には足らなくなってしまったスコット隊なので、きっと途中でもテントの中でストーブをガンガンに焚いて装備を乾かす余裕はなかったでしょう。 ほぼ最初から最後まで(死んでしまうまで)濡れた装備で南極大陸を進まなければならなかったはずです。 さらには、食料も南極点に向かう部隊を4人から5人に変更したこともあって、4人を想定した各デポでは十分ではなかったようです。 おなかすいてると寒いテントのなかでほんと寝れないですよね。 マイナス数十度のなか濡れた寝袋で寝れない夜を過ごして、朝凍ったミトンやブーツに手や足を突っ込まなければならないとか、なんて考えただけで地獄です。

しかも1週間とかそういうスケールではありません。Cape Evansを出発して南極点に到達し、帰路に遭難するまで4ヶ月かかっています。 毎日アホほど寒いなか、ソリを延々ひいて歩いていかなければなりません。 さらには道中、災難ばかりが続きます。 その最悪な例として、南極点にそろそろたどり着けそうだという段になって、なんか遠くにいくつか旗が立ってたり、犬のウンコや自分たちじゃないソリの跡を見つけたりします。 前人未踏の地を目指しているのです。そんなものがあってはおかしいはずです。 つまり、その時点でアムンゼンに先を越された事実を知らなければなりませんでした。 そのときどれだけショックだったかは想像もできません。

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南極点に2番手で到達したスコット隊。Credit: H. Bowers (Public domain)

復路はもうほんとに悲劇です。日に日に状況がこれ以上悪くなるか、というくらいどんどん底なしに悪化していきます。 5人のうち最後まで生き残った3人も、ゴールの大陸沿岸の小屋まで近くの地点、さらに食料や燃料が用意されているデポのわずか11マイル(18キロ)手前のキャンプで力尽き全員死亡してしまいます。遭難地点とデポの位置関係だけ知っていると、”死にそうに辛いのはわかるけど11マイルくらいなんとかならんのか!”と思わずにはいられませんが、詳細を追っていくと、”むしろそこまでよくやったよ...”と感銘すること請け合いです。

僕のしょうもない説明よりも、ずっと本を読んだほうが面白いです。 ぼくのおすすめは"The Worst Journey in the World"(邦題は「世界最悪の旅」)です。ぜひ読んでみてください。

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”The worst journey in the world”チェリー=ガラード著。この本に関しては状態もおそらく世界最悪。

日本語訳もずっと昔に読んだことがあるのですが、基地の図書館にこの本があったのでせっかくなので読み直してみました。 スコット隊の本は数多くあると思いますが、この本の著者は実際にスコット隊に参加しています。 南極点に向かう隊の支援としてデポ等を構築したあと、スコットたちと途中で分かれて引き返しています。 スコットたちが遭難したあとの次の夏に、彼らの遺体を発見した一人でもあります。 ちなみにこの遺体の発見はとても重要です。 アムンゼン隊が南極点に残した初到達を主張するスコット宛の手紙等を彼らが持ち帰って、死んでしまうまでしっかり携えていたことで、遺体の発見と同時に手紙も見つかり、結果的にアムンゼンの初到達の証明になりました。スコットたちがいかにフェアだったかを示す証拠でもあります。

すこし話がそれましたが、僕がこの本が良いと思うのは実際にその場にいた人間が書いた本だからです。 なにかと成功したアムンゼン隊と比較して、多くの本でやり方がまずかったと非難されることの多いスコット隊ですが、行ってもないやつが何いってんだという話です。 初到達して全員無事に帰ってきたアムンゼン隊ももちろんすごいですが、スコット隊もめちゃくちゃ尊敬に値するのです。

ついに本題です。3月29(30?)日はスコットが死んでしまったと考えられる日です。 僕なりに尊敬の意を表すために、南極点の周りをスコットがしたようにソリを曳いて歩いてみました。どんな感じだったか理解したいからです。 21世紀の防寒具で、ほとんど荷物の乗ってないソリを数時間引いただけなので、もちろん彼らの苦難とは比べられません。 なにしろ死にたくはないので無理はしません。

それでも20世紀初頭の冒険家とは体力も根性も桁違いに差がある僕にとっては、相当な重労働でした。 とくにサスツルギ(風でできた雪面の大きな凹凸)の向きに直交する方向に歩くと、ソリがサスツルギに引っかかってスムーズに進みません。 あと毎度同じこと言いますが、外寒いので顔が凍ります。この日は気温がマイナス55度くらいでした。 意味分かんないかもしれませんが、両目のまつ毛にでっかい氷の塊がすぐにいくつかできて、前がぜんぜん見えなくなります。

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基地から数キロ離れたSPICE coreと呼ばれるサイトにきました。もう少しいろんな写真を撮るつもりだったのですが、上の写真のように、三脚を立てて数枚写真を撮ったあとカメラが凍って動かなくなりました。

いやあ辛かったです。

よくわかったのは、僕は冒険家には向いていないということです。